主のあわれみと慈しみ

ローマ9:15

「わたしは自分があわれもうとする者をあわれみ、慈しもうとする者を慈しむ」。

 

神の主権あるあわれみのゆえに主に感謝します。私はチャーチキッズとして育ちました。小学校の頃、同年代の兄弟姉妹と詩歌を歌うのがとても楽しかったのを今でも覚えています。個人的にも聖書を読み、祈り、とても主を享受していました。

そして中学一年生の特別集会、当時はまだ九段会館でしたが、そこでの訓練生の展覧が幼い私にはとても印象的でした。詩歌265番を歌いながら入場してくる訓練生に憧れを抱きました。中高生ブレンディングでとても主を享受している訓練生を見て、自分もあのようになりたいと思いました。そして、大学を卒業したら訓練に行きたいです、という献身もしました。その頃から私の内側には訓練に行きたいという願いがずっとありました。  

しかし、高校生になった頃から召会生活があまり楽しくなくなりました。兄弟姉妹にも徐々に閉ざすようになりました。

そして大学生になり、忙しい部活にも所属し、何とかギリギリで召会にいる、そのような状態になりました。一方で、そのような状態でも自分には主が必要であることは漠然と感じており、以前主を享受したこと、そしてその甘さ、素晴らしさを忘れることは出来ませんでした。なので、自ら選んで部活に所属し、この世で忙しくしていたにも関わらず、「何の妨げもなくただひたすら主を享受できる訓練はどんなに素晴らしいだろうか」とずっと思っていました。

主はわたしをあわれんでくださり、召会にとどめ、訓練参加への願いを保ち、そして実際に全時間訓練へと導いて下さいました。主に感謝します。

(訓練13期生 S兄弟)