訓練に導かれた証

  私は、両親ともにクリスチャンの家庭で育ちましたが、主観的な経験や、召会生活をエンジョイした経験に欠けていました。正直にいうと、集会は嫌いでした。召会は、私にとって仲の良い友達と会える場であって、真理を積極的に学びたいとは思っていませんでした。  日常生活で主を個人的に享受することはありましたが、大学を卒業して在職生活が始まると、忙しさでますます足は遠のきました。そんな時、仲の良い姉妹達が何人か訓練へ参加をすると聞きました。姉妹たちは、訓練に参加するにあたって互いに励まし合い、訓練が始まってからは、召会生活をエンジョイしていました。それを見て、私も訓練に参加する願いを持ちました。

  ただ、訓練に参加することが本当に神のためになるのか、自分の分なのか疑問に思っていました。就職活動をするにあたって、神に就職をささげ、いまの仕事が与えられた感覚があったからです。その、与えられた仕事を辞めることに対して、抵抗がありました。しかし、主に感謝します。小組でこの問題について開いたときに、主はある兄弟を通して、この問題を解消してくださいました。兄弟が語ってくれたのは、イサクの例でした。創世記22章で、アブラハムは神から与えられた子、イサクをささげるよう告げられます。実行しようとしたアブラハムは、神によって祝福を得ました。このことが示しているのは、神が私たちに与えたものはすべて、最終的に神にささげもどす必要があると言うことです。仕事を辞めるにあたって、周りの人には、もったいないと言われましたが、私も、アブラハムのように神に与えられたものを保持せず、神により頼む生活をしたいと思い、訓練への参加を決めました。不安はありましたが、訓練のために祈り始めると、不思議と環境が整えられ、自分の心配よりもスムーズに仕事を辞めることができました。 これからの2年間、一つからだの中で、兄弟姉妹と交わり、訓練されることができますように。

(第16期生 M姉妹)