呉有成兄弟と訓練生の交わり 20191119日台北にて

 

質問①:訓練での学びで大切なことは何ですか? 日本の状況を考えて、特にどの面で強められる必要がありますか?

答え:全時間訓練に参加することは簡単なことではありません。主を愛さなければ全時間訓練に参加したいと思いません。それは代価を払うものだからです。多くの人は「あなたは何をしているのか?」と言い、理解しません。訓練には、大学を卒業することや主を信じていることなどの要求があります。日本では主を信じるのも容易ではありません。しかし、主に感謝します。主はあなたたちを訓練に導きました。あなたたちは訓練に対するビジョンをはっきりさせるべきです。なぜ訓練に来たのでしょうか? ビジョンがはっきりしていなければ、道をうまく歩めません。ビジョンをはっきりさせるのも容易ではありません。今はまだ聖霊の感動があるだけで、なぜ来たのか理解していないかもしれませんが、よくよく追求する必要があります。人が救われるのは神の選び、定めのゆえです。わたしがすばらしいからではなく、わたしの状況によるのではありません。神の選びによって、わたしたちは主を信じ、受け入れました。主を信じることも簡単ではないのです。多くの事を聞いても、聖書を読んでも、信じない人もいます。信仰も神からです。あなたが良いからでありません。主を信じた後、神聖な命を受け、その霊の分与を受けます。わたしたちの内側にある命は神の命です。神の命は神に仕えます。自然に、喜んで神に仕えることができるのです。しかし、どのように仕えるのかわかりません。多くの人は間違った方法で神に仕えます。主を信じているなら、神に仕えるのは当たり前のことです。しかし、どのように神のみこころにしたがって、神の要求を満たす奉仕をするのでしょうか? このためには正しい認識を持つ必要があります。訓練に参加するなら、神に仕える正しい観念を培います。そうでなければ、自分の意志に従います。旧約で多くの民が神に仕えました。積極的なものも消極的なものも見ることができますが、彼らは自分の思うままに仕えていて、神が願っているように仕えていません。今日、主の回復には正しい啓示があり、訓練を通してどのように神に仕えるかを知ります。教師から、神の言葉から、どのように神のみこころにしたがって正しく仕えるかを見ます。神のみこころはご自身をさらに多く分与することです。神は喜んでご自身を少しずつわたしたちに分与されます。多くの人が神を信じていますが、彼の分与を受けているでしょうか? これは命の成長に現れます。神との間に良い関係を建て上げ、正しい飲食によって正常に成長します。ある人は養われていないので、バプテスマされても、救われていない人のようにこの世をさまよいます。神の命を持っていますが、成長していません。しかし、主に感謝します。わたしたちは救われただけでなく、召会生活をしており、主が選ばれたので、わたしたちは訓練センターにいます。ここは最高の環境です。毎日神に近づき、神に触れる機会があります。享受の雰囲気の中で正しく神の言葉に来て追求します。十分に神の言葉で装備されることができます。神の言葉は内側で少しずつ成長します。そうすれば、わたしたちの命は自然に成長し、円熟へと至ります。召会には多くの機能する肢体が必要です。機能したい時にするのではなく、積極的に機能を果たすことができる肢体が多く生み出されるように、このために訓練が必要なのです。

ニー兄弟とリー兄弟はこのような展望を持っていました。1940年代、ニー兄弟はビジョンを見ていましたが、環境が与えられませんでした。1947年にニー兄弟は福州で訓練を開始しました。しかし一、二か月後、政局のゆえに散らされました。第二期の訓練も戦乱のゆえに散らされました。当時、訓練される人は少なくなかったのですが、訓練のための良い環境がなかったのです。1942年に煙台で大復興があり、多くの人が救われましたが、訓練を受けておらず、装備されていなかったので、牧養することができませんでした。それはただ聖霊の働きによりました。1946年に上海の大復興で多くの大学生が得られましたが、政局のゆえに彼らには訓練を受ける機会がありませんでした。1952年から1953年、リー兄弟は台湾で百倍の成長を持ちました。多くの人が救われ、牧養、召会の導きが必要でした。この時、百名の兄弟姉妹が訓練に召されました。数か月の訓練を持ち、今のように環境は良くありませんでしたが、強い願いのある人たちがいました。吉田兄弟や劉遂兄弟もその中の一人です。サタンの働き、騒動も起こりました。騒動はすべて賜物のある兄弟たちから来ます。召会、務め、真理に対する正しい認識が必要です。自分が思っていることにしたがって仕えるなら、サタンに利用され、召会の損失となります。その後、主はリー兄弟をアメリカへ導きました。リー兄弟はどこへ行っても働きを復興させ、召会を設立することができました。多くの主を愛する人、主に従う人を得ました。しかし、訓練の環境だけは備えられませんでした。リー兄弟は1984年に台湾に戻り、訓練の重要性を責任者たちと交わりました。1986年に全時間訓練を正式に開始し、リー兄弟が直接導きました。

あなたは全時間訓練に参加して、ある認識を持ちます。それは神に仕えるということは全時間で仕えることであるということです。仕事やめて奉仕することが全時間奉仕ではありません。主に得られた後、主に仕えたいという願いがあるなら、仕えればよいのです。在職であっても全時間神に仕え、召会の中で組み合わされて奉仕することができます。願いがなければ召会の中には仕事がないかのようです。しかし、負担があるなら自分の分をささげます。案配された奉仕は短期的なものです。負担は継続、持続するものです。仕事はしますが、奉仕になお負担があり、奉仕することができます。人の時間は人の手の中にあります。調整すれば、多くの時間を主の御前に置くことができます。わたしたちの多くの時間は主にささげられることができます。卒業してもなお奉仕することでき、多くを主の御前に置くことできます。召会にはこのような多くの全時間奉仕者が必要です。ですから、全時間訓練に参加する時、全時間主に仕えるビジョンを培う必要があります。在職であってもなくても、みな全時間主に仕える者です。神に仕えるとは、香をたき、ともし火をともすことです。これは祭司の奉仕です。神に仕える人は聖なる祭司です。香をたくとは祈ること、ともし火ともすとは奉仕することです。毎日どれだけの時間をかけて祈っているでしょうか? あなたは祈りの人となり、主との交わりを保つ必要があります。わたしたちの主との交わりの手段は何でしょうか? わたしたちが言いたいことを言うだけでしょうか? そのうち言うことがなくなってしまいます。ですから御言葉が必要です。御言葉を追求します。読んでも味わいがありませんか? それでも日々御言葉を読み、労苦する必要があります。奉仕者、訓練生は追求する雰囲気を培う必要があります。あらゆる方法を用いて、前面の兄弟が解き明かしてくれたものを、全時間訓練生としてできるだけ追求します。言葉を内に豊かに住まわせます。そうすれば将来あなたの内容となり、主に仕える動力となります。「奉仕」するとき、わたしたちは何かしたいと思います。マリアとマルタはどうでしたか? マリアになる人はあまり多くありません。主の足もとで静かに主の声を聞きます。ある人はマルタのように忠信に奉仕し、よくできます。しかし、主はそれを喜ばれないかもしれません。主は彼の言葉を聞いてほしいのです。全時間奉仕はどれだけ仕事ができるかではなく、どれだけ主の言葉を聞くかが重要です。これも訓練の中で培う事柄です。ある人は主のために多く語ることができますが、わたしはあまりうまく語れません。語れる人がよりすばらしいわけではありません。事務的な仕事もだれかがやらなければいけません。わたしたちは主のために語る必要があり、同時に仕事もしなければなりません。わたしたちは仕事をしつつ、同時に主の言葉を語らなければなりません。語るためには言葉で装備され、構成される必要があります。そのためには労苦する必要があります。訓練は言葉の上でどのように労苦するかを導きます。これほど良い環境はないでしょう。もちろん牧養や顧み、はぐくみなども必要ですが、最も重要なのは主の言葉を得るという奉仕です。御言葉、真理で装備されますように。

また各地の状況があります。わたしたちの度量を主が広げてくださいますように。一つの地方にとどまるのでなく、キリストのからだを見ますように。キリストのからだは各地において表現されます。台湾にも多くの地方で必要があり、台湾各地に証しがあります。日本にも多くの地方があり、各地に関心を持つ必要があります。そこには主を愛する聖徒たち、からだの肢体がいます。わたしたちはキリストの中で自然に通じ合います。機会があるなら、心を開いて多くブレンディングされますように。ブレンディングされるために装備が必要です。多くの言語を学びましょう。日本語、英語、中国語、学べるなら学び、多くの交わりを持ち、ブレンディングを持ちましょう。多くの奉仕があるので、あらゆる面の学びが必要です。基本的な原則は積極的に行なうことです。避けることがありませんように。機会があるなら組み合わされてください。召会の中で多く奉仕すれば、多くの祝福を受けます。行なうなら真剣に行ないます。主が与えられた度量にしたがって行ないます。主の喜びを求めましょう。

 

質問②:どうすれば主の声を聞くことができますか?

答え:主の声を聞くことや天の務めに協力することなどが語られますが、すべて抽象的です。しかし、わたしたちの深みには感覚があります。わたしたちは祈り、霊を活用する必要がありますが、主はまた環境も与えます。そして召会の導きもあります。長老や地区の責任者がいます。すべて交わりを通して、自然に内側ではっきりしてきます。何かを尋ね求めようとするなら、まず主に行き、そして交わりを求めます。責任者に行く時、彼らもよく祈ります。時にはわたしたちの意に沿わず、「アーメン」できません。責任者の声を主からの声として聞くのは容易ではありません。これはあなたの学びです。自分の意志にしたがってではなく、主のみこころにしたがって祈ります。

 

質問③:多くの語りかけの中でそのメッセージの負担を受け取れているか自信がないのですが、どうすれば負担を受け取ることができますか?

答え:訓練では教科書があり、前面の兄弟たちが導いてきたものが教師によって伝達されます。人が違えば、同じ事柄に対して同じ重点をつかむとは限りません。教師と異なるなら謙虚に学ぶ必要があります。もし質問があるなら個別に交わることができます。時間をかけて正しいものを見いだします。