レースを走る

-Run the Race-

 

 今、わたしたちは二つ目のポイントに来ます。これもまた三つの単語です。あなたはこれらを暗記する必要はありません。しかしこれらを覚えるでしょう。レースを走りなさい。レースを走りなさい。これは、ヘブル人への手紙第122節です。イエスをひたすら見つめていなさい。今、みんなでイエスを見つめましょう。栄光と尊貴を冠として与えられたイエスをひたすら見つめなさい。彼はわたしたちの信仰の創始者、また完成者です。今、わたしたちの前に置かれているレースを忍耐をもって走りましょう。

 最近、ボストンでマラソンがありました。何千人もの人たちが走りました。そして多くの人が2時間、あるいは6時間で完走しました。しかし、それは長いレースではありません。また別の種類のレースがあります。すべての走者には一つの単純なルールがあるだけです。すべての人が24時間走ります。そして、一番遠くまで走った人が勝利します。しかし、それはたったの24時間です。今までに、一週間続くレースを聞いたことがありますか。だれも一週間走り続けることはできません。一ヶ月はどうでしょうか。一ヶ月忍耐をもって走るのはどうでしょうか。一年はどうでしょうか。しかしこのレースはあなたの全生涯続きます。明らかに、これは物理的なレースではありません。

 わたしたちはクリスチャン生活がマラソンのレースを走る生活であることを理解する必要があります。そしてそのレースはわたしたちの前に置かれています。言い換えると、あなたがコースを選ぶのではありません。それは神ご自身によってあなたの前に置かれるのです。あなたはそれがどのくらいの長さであるかを決定したり決めたりすることはできません。それもまた神ご自身によって決定されています。すべての信者には個別のレースコースがあります。勝利者たちは行程を走り終えます。それはパウロが最後に言ったことです。「わたしは行程を走り終え」。わたしは救われたときに、天的なレースを走り始め、わたしの心の願いは走り終えることでした。使途行伝第20章で彼は言いました、「わたしは自分の命を尊いとは思いません。尊いこととはわたしが行程を全うすることです」。

 妻とわたしは結婚して47年以上になります。そしてわたしたちはいつも一緒にいます。しかし実際、わたしたちの行程は同じではありません。彼女には彼女の行程があり、わたしにはわたしの行程があります。これは神聖なエコノミーの個人的な面です。あなたがた一人一人に走るべき行程があります。歩くための行程ではありません。散策するための行程でもありません。ジョギングするための行程でさえありません。それは走るべき行程です。

 今、わたしはこの行程がいかに個人的であるかをあなたがたに印象づけたいと思います。ヨハネによる福音書第21章にとても良い絵があります。主はペテロに彼がどのように人生を終えるか、どのように行程を終えるかについて語りました。彼は実際のところこのように言っていました、「あなたは殉教します。あなたは年老いて死ぬのではありません。病気になって死ぬのでもありません。あなたはわたしの栄光のために殉教するのです」。ペテロがこれを聞いたとき、何と言ったかを思い出してください。「わかりました。わたしは殉教します。ヨハネはどうなのですか? 彼も殉教すべきではないですか? それは公平ではないのはないでしょうか? わたしが殉教するなら、みなも殉教すべきです」。主は言われました、「ペテロよ、それはあなたにはよらないのだ」。イエスがヨハネについてペテロに何と言われたかを思い出してください。「わたしの来るまで彼が生きているのをわたしが望んだとしても、それがあなたにとってどうだというのか?」。「ちょっと待ってください。わたしは殺されるんですよ。それなのに、彼は携え上げられるんですか? わたしはそんなのは嫌です。公平ではありません」。これは公平の問題ではありません。これは実に機能と主の案配の事柄です。 

 そしてヨハネはこれを聞きました。それから弟子たちはツイートし、メールを送り始めました。彼らは言いました、「ヨハネは死なないで、携え上げられる」。ですからヨハネは言わなければなりません、「主はわたしは死なないと言ったのではありません。彼はもしわたしが来るまで彼が残っているのをわたしが望んだとしても、と言われたのです」。ヨハネの兄弟は早い段階で殺されました。ヨハネは90歳代まで生きました。そして彼は彼の行程を全うしました。

 もしわたしたちがビジョンに従うなら、わたしたちは行程を走り終えることに動機づけられるでしょう。しかしあなたが走り続けるために、二つのことが必要です。二つのことプラス一つのことです。まず、あなたはあらゆる妨げとなるものから目をそらすことを学ぶ必要があります。わたしはこの集会で何人かの赤ちゃんを見ました。わたしは赤ちゃんが妨げであるとは言いません。子供たちは主からの賜物です。しかしわたしたちはだれによっても、また何によっても自分自身がそらされることを願いません。

 姉妹たちよ、わたしはあなたがたの自己についていくつかアドバイスを与えましょう。それから目をそらしてください。最近、1月に結婚したばかりの夫婦がいます。あなたは彼女を愛してますね? あなたは彼を愛してますね? 互いに目をそらすことを助け合いなさい。目をそらしてイエスをひたすら見つめなさい。そうすれば、彼はあなたに信仰を注入してくださいます。

 次に、わたしたちが必要とする二つ目のものは忍耐です。主はヒラデルヒヤに在る召会を彼らの忍耐のゆえに称賛しています。わたしは、可哀想なアメリカ人がこれに関してどうすればよいのかわかりません。わたしが自国の人々を取り上げるのには理由があります。アメリカ人には忍耐がありません。彼らにはまったく忍耐がありません。すべては素早くなければなりません。しかしこの行程では、ほとんど素早くできるものはありません。わたしたちは忍耐を持って走ります。そしてわたしはこれをあなたがたに保証します。わたしは今もなお走っています。わたしはこの先に何があるのかわかりません。わたしは主のあわれみに信頼しています。しかしわたしたちの忍耐としてのキリストを疲れ果てさせることのできるものは何もありません。わたしたちは疲れ果てません。わたしたちは燃え尽きません。わたしたちはわたしたちの忍耐としてキリストを持っています。

 わたしは二つのことプラス一つのことがあるといいました。その一つのことはこれです。それは長距離レースです。あなたはこのレースを60年あるいは70年走るかもしれません。もし失敗したらあなたはどうするでしょうか。もし倒れるならあなたはどうすべきでしょうか。ミカ書にわたしの愛する一節があります。それは言います、「わたしの敵よ、わたしのことで喜ぶな。たとえ倒れても、わたしは起き上がる。たとえ暗やみの中に座っても、エホバはわたしの光となられる」(7:8)。ですから、あなたが失敗しても、あなたが倒れても、あなたには神の法理的な贖いがあります。起き上がって再び走り出しなさい。あなたは最初の三つの言葉を覚えていますね、「ビジョンに従う」。二つ目は「レースを走る」です。 

 

 わたしはレースについてさらにもう一つ言わなければなりません。あなたが長く走れば走るほど、遠くまで走れば走るほど、ますます走るのが困難になり、ますます行程が険しくなります。しかしあなたがその地点に到達すると、恵みはさらに大きくなります。復活はさらに優勢になります。主のあわれみはさらに遠くまで届きます。ニー兄弟は「最後の道(the last part of the journey」についてのメッセージをしました。弟子たちはボートを漕いでいました。彼らは旅の終わりに近づいていました。そして風は非常に強く吹いていました。彼らは終わりに近づいていました。しかし、それが主が来られた時です。ですから、物事が激しくなっても驚かないでください。恐れてはいけません。恵みが増し加わるでしょう。供給はさらに豊かになるでしょう。主はわたしたちの先駆者です。彼はわたしたちの先にレースを走られました。彼は至聖所の中でわたしたちのために祈っておられます。ヘブル人への手紙第12章よりわたしたちは知っていますが、御使いたちがわたしたちを見守っています。あなたの御使いはあなたを励ましているかもしれません。ビジョンに従いなさい。レースを走りなさい。